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アーボル・ルッキングホースからのメッセージ
日本の皆様へ
私たちは日本の皆様にとても暖かく迎えられたことに感謝しています。
環境問題について関心のある若者たちの多さに圧倒されました。彼らは皆とても一生懸命で、真剣でした。
富士山は力強い山で、聖なる山のエネルギーを感じました。故郷の聖地、ブラックヒルズと同じような感覚がありました。
広島では、広島の方々が、私たちの祖先と同じような体験をしたことを知りました。広島の方々のご家族や友人たちもアメリカ先住民と同じような苦しみを体験したのです。広島ではとても謙虚な気持ちになりました。家族を失い、嘆いている人々のまえで謙虚な気持ちになり、共感すると同時に、人々の信念と謙虚さに、私たちは力づけられました。私たちはこれからも平和のために祈り続けてゆかねばなりません。
今、この時代、環境の変化、気候の変化が起きている今、私たちは本当に心をひとつにしていく必要があります。
科学者らもまた、私たちはもう後には戻れない状況に来ていると言っています。
私たちは地球の上の聖なる道を、共に親族として歩まねばなりません。全てのくにの人々が共に祈らねばなりません、母なる大地は病んでいます、地球温暖化は進行しています。
2005年のWPPDはブラッックヒルズで行われます。同時に、世界各地の聖地で、6月21日という聖なる日に集い祈ることを強く希望します。世界平和と地球の癒しのために祈ってください。この祈りは子供たちからお年寄りまであらゆる人に影響してきます。これはまた、平和とつながりのための祈りです。
子供たちの未来のためにも、共に癒し、協力していく必要があるのです。
共に癒すということ、私たちの場合は、ウンデッドニーへ向けた馬の行進を通じて、「涙を拭く儀式」を行いました。この儀式の中で私たちは、お互いへ怒りをいだいたまま話をしてはいけないということを強調しました。私たちはまず、怒りを癒していかねばなりません。歴史的なこと、個人的なことで心が病んでいるのならば、祈りを通じてそれを癒してください。祈り、そして手放すのです。まずこのように自分の心を癒すことが先です。そこからはじめて、心から人と話をすることが可能になります。
今、私の暮らす居留地では、子供や若者たちが、ドラッグ、非行、アルコールなどの問題から、今まで以上に自殺に走っています。私たちは聖なる伝統を呼び戻さねばならないと痛感してます。
私たちがどのような文化からこようと、互いの文化に敬意を抱き、協力して祈ることが大切です。
私たちの民族はまた、科学合成された医薬品で、かえって健康を損ねています。まず自分の体に戻り、大切にし、自分の体に適した自然の薬を通じて体を癒していく必要があります。
今、母なる大地は病んでいます。できるだけ多くの人たちが地球温暖化に関心を抱き、母なる大地への敬意を再び抱くよう、行動していくことを、心から願っています。
チーフ・アーボル・ルッキングホース
ロレーン・フォックス・デイビス(ブラックフィート族)さんからのメッセージ
はじめに、WPPD 2004 JAPAN を可能にしてくださった皆様に、深い感謝をおくります。
私たちの日本への旅は様々の意味で、とても感慨深い体験となりました。
日本で私たちを歓迎してくださるために、沢山の時間と心を分かち合ってくださった全ての方々に感謝します。日本に到着した瞬間から、皆様のすみやかな段取りと細部への配慮のみならず、暖かさと、真の心配りに感動しました。
また、WPPD JAPAN実行委員会の皆様が私の航空券を購入していただいたおかげで、娘が同行することが可能となったことに感謝します。今年で66歳になる私が一人で旅するのを家族が心配していたため、娘のロクサンヌが同伴してくれたことは私にとってとても嬉しいことでした。彼女は記録写真の撮影や、私一人では面倒がみきれないスケジュールや荷物の面倒をみてくれました。このように彼女が同行することを実現してくださったことに心より感謝します。
日本に到着すると、WPPDスタッフの出迎えをうけて、すばやく通関することが出来ました。私たちは儀式に必要なワシの羽根やその他の物をはこんでいたので、通関では非常に緊張していたのです。長い空の旅のあと、私たちはなじみのある食事、そして日本料理を初めて体験し、旅の疲れを美しい宿で癒すことができました。WPPDスタッフの細やかで配慮の行き届いた計画は全てにおいて明らかでした。
WPPDの先住民代表団の一人として、またウォラコタ財団の役員として、日本での10日間の催事に参加するのはとても光栄でした。チーフ・アーボル・ルッキングホースとその家族と共に旅をすること自体が光栄であり、また大勢の国際的な代表者の方々と儀式に参加することは、特別な文化的体験であり、機会でした。
広島での体験は私たちの心奥深くに触れるものでした。滞在先は、日本を深く愛する魅力的なアメリカ人が運営するホステルでした。私と娘は朝5時に畳にしかれた布団から起きて、散歩にでかけ、太陽が昇るのを見ました。ビジネス街ではない、日本の住宅街を歩くのはとてもおだやかで美しい日本の旅の幕開けでした。特に公園近くの神社の美しさには感動しました。私たちは以前から日本の美術や文化に関心を持っていましたが、実際に体験したのは今回が初めてであり、これからもまたこの国を訪れたいと思います。皆様への感謝の表現として、広島の宿の窓の風景を見ながら書いた詩を贈りたいと思います。
日の出の広島
青い瓦屋根、赤い瓦屋根
紫の紫陽花
破壊の涙を おおう
いのちがいのちを求める
過去への涙、未来への恐れ
そして 心は
美しいつぼみのように
かぎりなく
開きつづける
6月17日
広島では、地球先住民ひろしま会議の奈良毅先生の崇高なビジョンによって、「水あわせの儀式」が行われました。私は、息子がとってきてくれたトゥ・メディスン湖より水を持って儀式に参加しました。モンタナ州のグレイシャー国立公園内にあるトゥ・メディスン湖はブラックフィート族の聖地です。この水をこのような意義深い儀式のために、沢山のくにぐにの聖地からの水と合わせることができたのはとても光栄でした。水合わせの儀式の直後、太陽の周りに虹が現れたことを、私たちは儀式への祝福のしるしとして、嬉しく受け止めました。今でも、あの美しく簡素で調和のとれた儀式を思い出して感銘を受けます。
広島平和資料館では、私たちの政府によって起こされた破壊の有様を目の当たりにすることで、私は深い悲しみと恥を感じると同時に、平和への努力を続ける決意をあらたにしました。平和のために、平和をたたえ、支援する目的でこの土地に来ること自体が、日本の方々、そして他の代表者との絆を深める経験でした。旅の途中、私は娘と何度も、この土地に来れた事への感謝を語り合いました。
私の通訳の為に広島まで駆けつけてきてくれた猪俣理恵さん、そしてWPPDでの通訳を担当してくださった本田温子さんに感謝します。この二人の素晴らしい女性は私たちのために、とても分かりやすい通訳をしてくれました。親しみやすく、礼儀正しく、聡明な女性たちです。広島の平和記念聖堂で多様な文化の代表者の方々と共にスピーチをさせていただいたことは非常に光栄でした。また、日本の美しい文化を体験することもできました。国際先住民会議は、素晴らしい文化を分かち合う機会であり、私たちのこの壊れやすい環境を守る必要を再認識させてくれる、感動的な会議でした。
この豊かな体験の翌日、私たちは日本の美しい田舎の風景の中を、新幹線に乗って猛スピードで走り抜けながら富士山へ向かいました。日本の技術に目を見張ると同時に、丁寧に区画された稲田、茶畑、沢山の畑に見とれました。代表団の沢山の荷物の移動と、言葉の違いに翻弄され、また楽しみ、仲間達のユーモアに支えられてWPPDスタッフによって無事富士山に到着しました。
翌朝見た富士山の美しかったこと!雨と霧の中、富士山の姿を見ようと宿舎近くの田舎道を散策をしていたのですが、もう見られないだろう、とあきらめかけた頃に、富士山はその姿を現してくれました。偉大なる、聖なる母なる山。私の暮らす地には、ナバホの民がシスナジニ=チェンジング・ウーマンと呼ぶ山があります。シスナジニは移り変わる季節と共に、その姿と衣を変えると言われています。富士山の姿はどんな写真も再現できないほど雄大でした。雲に包まれたその姿は息をのむばかりでした。私たちはただその場に、沈黙と畏敬の念をもって立ちすくみました。この崇高な瞬間を体験できたことに感謝します。
アットホームな宿舎で、私たちは親しみのあるスタッフの皆さんと大きな家族のように数日間を過ごしました。スタッフの皆さんは私たちにとてもよくしてくださり、素晴らしい食事を用意してくださいました。また、富士宮市内で開催されたWPPD前夜祭での素晴らしいパフォーマンスに感動しました。市民のみなさんに暖かく歓迎されたことを大変嬉しく思います。
6月19日、WPPD開会。WPPDが始まって以来、9年間参加していますが、毎年、その経験に圧倒されてしまいます。今回のWPPDもまた、あまりにも沢山の催しが同時進行されていて、全てに参加できなかったことが残念なくらいでした。参加者の方が多数だったため、分科会形式にしないと全ての方を収容しきれないと聞いていますが、本当にそのために多くの方が集まってくださったのですね。ボランティアスタッフの方々の喜びにあふれた姿勢と意欲が特に心に残っています。みなさん、本当に素晴らしかったです!
私はストーリーテラーとして、日本の子供たちと時間を過ごす光栄に恵まれました。あどけなく、純粋な子供達の顔が今も私の記憶にありありと浮かんできます。子供達と過ごしたあの時間は宝物です。私が語るネイティブの話を好奇心一杯に喜び、驚き、聞き入る子供達の姿を見ることができて本当に嬉しかったです。
6月21日、夏至の日は、ニュースで伝えられていたように台風による風と雨で一日が始まりました。この台風が「雷の母」と名付けられたと聞き、とても驚きました。雷はすべての先住民にとって聖なる存在です。その雷がほかでもない、夏至の日に現れるとは!私たちはこれを吉兆ととらえました。天候によって儀式の進行は楽ではありませんでしたが、それでもとても大切な事が起きていることは明らかでした。私たちが到着したとき、すでに2000人以上の人々が2時間以上も雨の中で待っていたと聞きます。中心のサークルに入ってから、歌が始まり、最後の祈りが捧げられるまでの間、私たちは貴重な空間にいることを感じました。大きなサークルをつくっていた一人ひとりの参加者の献身的な姿勢が儀式会場全体のエネルギーを保ち、儀式が終わるまでの数時間、私たちはひとつのスピリットとして、平和のなかに存在していました。
日本列島の先住民であるアイヌの方々の儀式に参加することは非常に光栄でした。私は以前からアイヌの方々の歴史と文化に関心を持っていましたので、実際に彼らと共に場を共有し、彼らの祈りを聞き、彼らの目から、民族の痛みと、美しさを感じることができたこと… 今も思い出すだけでも目に涙が浮かんできます。
私たちが中心の輪から出るころには、祈りのサークルは5000人とも6000人とも言われる規模になっていました。そして、そこで私たちは、皆とともに、母なる山、富士の姿が現れるのを感動のうちに見ていました。儀式終了後、雨がやみ、太陽が現れ、雲が開けるとともに、奇跡のように母なる山が私たちを祝福してくれました。私たちは子供のように偉大なる母の現れを喜びました。人々は踊り、歌い、笑いました。私たちは嵐を耐え抜きました。偉大なる母が私たちを試していたのだという人もいました。この体験は、ただ単に儀式のために集うということを越えていました。これは一人ひとりが己にうちかったあかしであるとともに、大勢の人と共に分かち合った貴重な経験でした。この素晴らしい冒険ともいえる儀式のしめくくりにふさわしい体験でした。
このレポートを書くことで、日本での素晴らしい経験を再び思い出す機会を与えてくださったことに感謝します。World Peace & Prayer
Day 2004 JAPAN は、私のこころの中で、宝物のように生き続けることでしょう。
ロレーン・フォックス・デイビス
ブラックフィート族
ポーラ・ホーン・ミュレンさん(ラコタ)からのメッセージ
6月21日、ムーンサークルに集まってくださった全ての女性に感謝と愛を捧げます。WPPD2004 JAPANについて語るとき、あの場に集った全ての女性たちを思いおこします。当日、わずかしか集まっていないだろうとの思いで体育館に到着すると、私の想像をはるかに超えた数の女性達が集い、体育館は彼女たちのエネルギーで満たされていました。「毎日まいにちありがとう」の歌を一緒に喜びの中で歌ったこと、みなさんの感動の涙。あの体育館には本当に素晴らしいポジティブなエネルギーが満ちあふれていました!
過去何年間も行われてきたWPPDの中でも、この女性のサークルが、私の中で最も印象深い体験です。
平和のなかに
ポーラ・ホーン・ミュレン
フローデマヨさん(マヤ族)からのメッセージ
私たちを取り囲む世界の美しさの名において皆様にご挨拶を送ります。
今ふりかえって思うことは、日本への旅は、今までの旅の中で最も暖かく愛に溢れ、礼儀正しい人々に出会うことのできた旅でした。創造主が私にこの機会を与えてくれたことに深く感謝します。まるで遠い世界で起きた夢のような出来事にも思えます。
日本で、皆さんの言葉を聞き、美しい顔を見、また様々な民族の衣装をまとった人々を見、いったいどうしたら中米出身の私がこのような場所に来ることができたのだろうか、と考えると、これは祖先のビジョンのおかげだとしか思えません。
日本はとても美しく、日本人が土地を大切にする様子は世界のお手本でもあり、ごみがまったくなかったのは、大地への敬意の表れだととらえました。温室や、屋根の上にまで緑があり、庭や芝の手入れが行き届いていました。ゴミがでないように自分の食事を入れる容器を持ち歩いていることなど、関心する事ばかりでした。
6月21日のセレモニーの日、参加者全員が我慢強く最後まで大雨の中で輪をつくっていました。私たちは聖なる水のスピリットに浄められていたのです。ふりかえると、もっと皆さんと色々なことをして、もっと分かち合えたなら、と思うことがあります。私の存在が、どんなに小さな形であっても、日本に残すことができていることを祈ります。 皆様へ深い敬意と、祝福の願いをこめて。
フローデマヨ
ジェフ・コンデルさん(アイルランド)からのメッセージ
WPPD 2004 JAPAN は、目を見張るばかりのボランティアの方々の努力によって創り上げられた、想像を絶する体験であったということです。オーガナイザーの方々の労とコミットメントの深さ、サポートは印象深いものでした。同じようなことをしようと思ってもなかなかできるものではありません。この経験はいつまでも私たちの心に残ります。心のそこから有り難うございました。 ジェフ・コンデル
キャロリン・オドノバンさん(ケルト)からのメッセージ
WPPD 2004 JAPAN への招待を受けるまでは、自分が日本を訪れる日がくるなど夢にも思っていませんでした。しかし、皆様からのご招待のおかげで世界各地の先住民の方々、そして東洋の皆様との交流を一度に体験することができました。2003
年の夏、ちょうど「ある芸者の回想」という本を読んだので、日本文化に対するイメージがほんの少し湧いていた矢先のことです。
日本での整然とした物事の進み方、そして至る所で感じた優雅で、オープンで誠実な人々の接し方を、ヨーロッパ人は想像することもできないでしょう。私の日本での体験は、始まりから終わりまで、富士山と、この土地の人々の開かれた腕の中へのつながりを通じて、忘れられないものとなりました。必ず、またこの地に帰ってきたいと思います。
キャロリン・オドノバン
リンダ・デーニーさん(チュピック・エスキモー)からのメッセージ
日本での経験は、一生の経験でした。アラスカから三度飛行機を乗り換えて関西空港にたどりつくと、通訳の方々の出迎えをうけました。翌朝の広島行きにそなえて空港近くのホテルで夕食をとった時は、あまりの疲れで、息子がテーブルに顔をふせて眠ってしまうほどでした。
広島はとても暑く、太陽が光り輝いていました。水あわせの儀式にぎりぎり間に合う形で到着しましたが、参加することができて非常に光栄でした。平和祈念聖堂での会議は素晴らしく、息子達も地元の中高校生との交流をとても楽しみました。
新幹線での経験は忘れられない経験でした。電車の停車時間が限られていたため、代表団一行の山の様な荷物を3分間で電車に積み込むのは神業でした。若くて手の早い者達が荷物を積み込んでいる間に、子供や、足の悪いお年寄り達を急いで電車に乗せねばなりませんでした。日本の電車はアラスカよりもずっと乗り心地がよく、スムーズでした。新幹線でもっとも印象深かったのはコーヒーです。今まで飲んだコーヒーの中でも格別でした。
富士山で過ごした時間も素晴らしかったです。通訳の方々やスタッフの方々と親しくなることができました。集いはしっかり計画され、儀式会場は非常に立派なものでした。この場で毎年WPPDに参加しているメンバーの顔を再び見ることができて嬉しかったです。
WPPDのオーガナイズは見事なものでした。実行するのに大きな労を要する集いであり、日本のスタッフの働きぶりは目を見張るものがありました。日本にいると自分たちにそっくりの人が沢山まわりにいるようでした。皆さんの顔を見ていると、アラスカの各地方の特徴をもった顔ばかりでした。日本の人のために私たちの歌と踊りを披露できたのは大変光栄でした。またチャンスがあれば公演をしたいと思います。息子達も日本が大好きになり、またいつの日か戻りたいと言っています。日本での経験はいつまでも私たちの胸に残ることでしょう。同時に、いつの日か、日本の皆さんがアンカレッジに来ていただけることを願っています。
日本人は自然環境を愛し、大切にしていることに感銘を受けました。また人々は自分自身を大切にしていると思いました。ひとつ残念なことと言えば、ファーストフード店があったということです。どちらにせよ、日本での体験はいつまでも覚えていることでしょう。素晴らしい時と思い出を可能にしてくださったWPPDスタッフの皆さんに、深い感謝を贈ります。私の心は皆様と共にあります。
リンダ・デーニー
― WPPDを終えて ―
WPPD 2004 JAPAN 富士山実行委員会代表(富士宮市観光協会会長)秋鹿 博
台風6号が日本列島に近づいた6月19日(土)、WPPDは開会し、台風が上陸し暴風雨となった21日(月)神聖なセレモニーがとり行なわれ、そして翌日22日閉会しました。
WPPDが台風と共に嵐のように来て、帰ったような不思議な現象でした。
日本の気候では6月に梅雨に入りうっとうしい日が続くのですが、まさかこの時期に台風に見舞われようとは思いませんでした。
「世界の先住民の代表が聖地富士山に集い、地球に感謝しながら世界平和を祈る」というこの催しが、私のところに相談があったのは昨年(2003年)の9月でした。詳細は解らなかったが、その理想的な主旨に私は感動して、「よしやろう!」とその時は余り深く考えないでお返事をしました。
いつも「人生意気に感ず」がモットーで、新しい事に挑戦して、今までも結構安請け合いで何でもやってきました。しかし、「今度は少し違うぞ」と思い始めたのが今年の2月頃、何を誰がどのように行なうのか、さっぱり見えてこないからでした。外国の先住民は何人位、どこの国から来日するのだろうか。そして一般参加者は何人位来るのだろうか、と実行委員会本部に尋ねても、まだ誰も答えられませんでした。そのイメージが掴めなければ、準備の仕様もないのです。
それも無理ありません。本部の実行委員会の5人のメンバーも初めての取り組みで、その時期は資金の調達の動きを始めたばかりで、どこから手をつけていったらいいのか、五里霧中といった感じでした。アメリカ大陸5回、オーストラリアなど他地域で3回、計8回の過去に開催した規模や内容などを参考にするしかなかったのですが、日本では参考とするには難しい事だと思われました。
招聘する先住民の代表の交通費及び滞在費、運営諸経費は約2000万円が見込まれました。これをすべて協賛金、寄付金、カンパで賄わなければなりません。
5人の実行委員事務局は、赤字になったら5等分して負担するという覚悟で挑みました。この意気込みに私も感動し、地元としても資金の捻出をしなければならないと考えました。
これが「前夜祭チャリティーライブ」を開催したキッカケとなり、先住民の素朴な音楽、歌と踊りを市民の多くに見てもらい、WPPDを理解してもらおうと計画したのでした。
世界平和を祈る日、6月21日(月)は、台風が上陸して朝から生暖か濃霧の中で、時々強い風が吹いていました。しかし「祈りのセレモニー」が始まった午前8時には、3000人程の参加者がカッパ姿で集まり、静かに儀式が始まりました。
何より驚いたことは、あの暴風雨の中でほとんどが帰らず、終わりの頃には3600人程にふくれ上がっていました。これは参加者がネイティブ・アメリカンに伝わる儀式で祈りを捧げるという、本来の目的を理解した人々の集まりであったからです。もうひとつ特筆すべき事は、参加者のすべての人に「フリーフード」と言って、食事をふるまった事です。しかも全国からお米、有機野菜等の食材をカンパで集め、ボランティアスタッフが調理して出したのですが、これは本当に大変なことだったと思います。
日本のお祭りでも必ずと言っていい程「直会(なおらい)」というものがありますが、神様に捧げた「食物」を神様と分け合って、感謝しながらみんなでいただくという作法ですが、素朴な中に人と人の親睦を図るという、どこにも似たような風習があるものだと関心していました。
最後に地元のみなさんの協力と、すべての関わった方々、参加していただいた方々に、改めて感謝の意を伝えたいと思います。
本当にありがとうございました。
6月20日、祈りのウォーク責任者:藤田政弘
2004年、太陽の力が一年の巡りの中で一番強くなると考えられている夏至の日に行なわれた「せかいへいわといのりの日」に向けて、その前日に「馬と人によるせかいへいわといのりのウォーク」は行なわれました。
WPPDの提唱者チーフ・ア−ボル・ルッキングホース氏は『WPPDは「涙を拭く儀式ー聖なる輪の修復」と名付けられた馬の行進から始まっています。これは良いエネルギーを招きいれ、人々を癒す儀式です』そして『それはエネルギーの転換を創り出すことです。』と仰言しました。
このウォークも、大地を踏みしめ、一歩一歩、母なる地球、父なる空への祈りとして行なわれました。
20日朝7時、折りからの台風接近にともなう雨のなか、富士山本宮浅間大社に参拝して渡辺宮司様より祝詞を戴き、サークルをつくり、チーフ・ルッキングホース氏の祈りとともにアリーナWPPD会場に向けてウォークはスタートしました。
途中、浅間大社の元宮であり、古代の神社の原形をとどめる山宮浅間神社までの7・6Km区間は、アイザック氏(マオリ)、オレリオ氏(オジブエ・インディアン)、バズ氏(エスキモーの家族となっているチョクト−・インディアン)、ジェフ氏、(アイルランド)、ボーイスカウトのこども達も含めて200人位が、雨の中、一歩一歩大地に祈りをこめて歩いてくれました。山宮からは「平和の火」を運ぶ国際巡礼団と、ロバートさん(ロバート・スティード、’92に亡くなったネイテブアメリカン、ラコタの長老でありメディスンマン。’90来日し長野県大鹿村で儀式を行った)の形見であるスタッフ(祈りの杖)率いる虹の輪の行進団(大鹿村からウォークで到着)を中心に、70人位が力強く祈りを運んでくれました。そして人穴浅間神社では会場からの参加者も加わり、また200人位のサークルができました。ここ人穴浅間神社はまた富士山を信仰する富士講発祥の聖地でもあり、富士の胎内を表す洞窟が神社となっているところです。ここで富士講北口御師槙田但人氏から富士講のお話しを伺い、富士講先達斎藤義次氏がいらっしゃらなかったため、かわりに宣詞をあげさせて頂きました。
ここから先住民の人たちも乗る21頭の馬が加わり、それに続く約200人の行進は、霧の中、明日のセレモニーの場となるアリーナ会場へ祈りを運んだのです。
会場に着くと、チーフ・ア−ボル・ルッキングホース氏たちが乗る馬は、輪を描いて駆け巡り、歓声で行進団を迎えた人の輪は、約1600人になっていたそうです。
チーフ・ルッキングホース氏は行進団をねぎらい、称え、祈ってくれました。ウォークを担当させて戴いた私にとって、至福のサークルでした。素晴らしい翌日の夏至の日を予感させるサークルが解かれると、あちこちでハグする姿が見られました。行進団は「弥勒への道を竜がきりひらく!」そんなウォークを実現してくれました。
たくさんの人、たくさんの祈りに支えられて。そして、太陽は巡り次の夏至の日を迎えようとしている今、「聖なる輪の修復」はメキメキと音を立てて始まり続いていると感じています。
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